ロータス・ルノーGP、ペドロ・デ・ラ・ロサともロバート・クビサの代役交渉

2011年03月05日(土)

ペドロ・デ・ラ・ロサも、ロバート・クビサの代役としてロータス・ルノーGPと交渉していた。デ・ラ・ロサ本人が認めている。

クビサがラリー事故で重傷を負い、2011年シーズン序盤戦を欠場することが決まり、ロータス・ルノーGPはクビサの代役を探していた。結局ロータス・ルノーGPは、ニック・ハイドフェルドを選んだが、チーム代表のエリック・ブーリエは最近になって、ビタントニオ・リウッツィも考慮に入れていたと述べている。

ブーリエは言う。「ペドロ・デ・ラ・ロサとは少し、話し合ったよ」

当のデ・ラ・ロサは、次のようにコメントしている。「ロータス・ルノーGPが電話をくれたとき、彼らにこう言ったよ。“僕には経験がある。速さも備えているし、僕だったらマシンに競争力をつけるのに200周も走る必要はない”」

デ・ラ・ロサの2011年シーズン計画は不明だが、何らかの形でF1にとどまりたいということだ。リザーブ・ドライバー、あるいはピレリの開発ドライバーという立場になると思われる。

「あと3年は現役のF1ドライバーでいたい」と、デ・ラ・ロサは、自らの公式ウェブサイトに掲載されたスペイン語のインタビューで語っている。

「結局のところ、頼りになるのは体力だね。その点、僕はとても元気だ。もしかしたら、二十歳のころより体調は良いかも」と強調するデ・ラ・ロサ。

一方でデ・ラ・ロサは、F1で犯した自らの間違いにも言及している。

「僕には、F1でとてつもなく大きなミスが2つある。まずは(1998年)、ジョーダンのテストドライバーになりながら大して走れなかったこと。レプソル(スペインの石油会社)を説き伏せ、レースドライバーとして小規模チームに入れば良かったよ」

「2番目のミスは、(2001年に)ジャガー(現レッドブル)と契約したこと。大予算のチームながらインフラが貧弱だった。僕が在籍した当時、彼らはF1チーム中唯一、風洞設備を持っていなかったんだ」

「マシン選びを誤ったね。おかげで僕は今も“求ム、乗って正解のマシン”状態だよ」と、最後はジョークで締めるデ・ラ・ロサだった。

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