アイルトン・セナのドキュメンタリー映画にマクラーレン前代表も涙

2011年04月05日(火)

マクラーレン・グループ会長のロン・デニスが、アイルトン・セナのドキュメンタリー映画で涙を流したことを明かした。

デニスは、マクラーレンの前チーム代表であり、セナがマクラーレンに所属していた時代にもチーム代表を務めており、セナの3回にわたるF1タイトル獲得を間近で見ていた人物だ。そのデニスは映画『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』について、『La Gazzetta dello Sport(ガゼッタ・デロ・スポルト)』へ次のように語った。

「確かに、涙が出た場面もあった」

「いくつかの映像は、心にずしんと響くものだったよ。われわれは非常に親しい関係だったんだ。契約のことで対立しただけだった」

当時のF1で最大の話題とも言えるのが、「セナプロ対決」とも呼ばれたセナとアラン・プロストの激しい戦い。1988年と1989年にマクラーレンでタッグを組んだセナとプロストだったが、両者は激しく対立し、チームメート同士での接触という最悪の事態が起こるまでになっていた。しかし、当時マクラーレンのチーム代表だったデニスは、後悔していないと語る。

「もし1人のドライバーのみで勝とうとすれば、チームとしては勝てる能力が下がることになる。ひとつ確かに言えることは、問題が起きたものの、われわれは1988年に16戦中15勝を記録していたんだよ」

その後デニスは、2007年にフェルナンド・アロンソ(現フェラーリ)とルイス・ハミルトン(マクラーレン)を擁したときにも、チーム内での対立という問題を抱えていた。しかし、現ドライバーであるハミルトンとジェンソン・バトンの間には、「ハーモニー」が存在するとデニスは話している。

「マーティン・ウィットマーシュ(現チーム代表)は、私ほどドライバーについて苦労していないようだね」とデニスは笑った。

そして、『Corriere della Sera(コリエーレ・デラ・セラ)』は、近年のF1で最大の疑問とも言える一方で、決して答えの出ない質問をデニスにぶつけた。もしセナが1994年のレース中に起きた事故で亡くならなければ、ミハエル・シューマッハ(現メルセデスGP)が7度もF1タイトルを獲得することにはならなかったか?

「それに答えるには水晶玉が必要になるね」

「彼が(マクラーレンから)ウィリアムズへの移籍を望んだとき、ウィリアムズは問題を抱えていた。だが、彼は経験を駆使して、少なくともあと1回はタイトルを獲得していただろう」

セナが亡くなった1994年のサンマリノGP。セナの直後を走り、コースを外れて壁に吸い込まれていくセナを誰よりも近い位置から見ていたのがシューマッハだった。結局、このレースに優勝したのがシューマッハであり、この年シューマッハは自身初のF1チャンピオンに輝いた。

その後、F1界でさまざまな記録を塗り替えていったシューマッハ。2000年イタリアGPでセナと並ぶ通算41勝を記録した際、レース後の記者会見では、セナと同じ勝利数になったことに特別な意味があるか質問された。

これに対しシューマッハは、「そうだね。僕にとってこの勝利は、とても大きな意味がある」と答えると、それまで公の場で感情を表に出すことが少なかったシューマッハが泣き崩れ、それ以上コメントすることができなくなるという場面もあった。

【関連動画】
『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』予告編
アイルトン・セナの勝利数に並び、泣き崩れるミハエル・シューマッハ

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