F1ドライバー時代は、辛らつにミハエル・シューマッハ(メルセデスGP)を批判することも多かったジャック・ビルヌーブ。そんなビルヌーブが、シューマッハを擁護するような発言をした。
1997年、当時ウィリアムズに所属していたビルヌーブは、当時フェラーリのシューマッハとタイトルを争った状態で最終戦を迎える。そしてレース中には、シューマッハが故意にぶつける形で両者が接触。シューマッハはそのままリタイアし、ビルヌーブが王者に輝いた。
その後もビルヌーブは、シューマッハのことを非難することが多かった。だが、2006年に引退したものの、2010年に現役復帰後は苦戦続きで批判の的となっているシューマッハの弁護を展開した。
ビルヌーブは、『O Estado de S.Paulo (オ・ エスタード・ジ・サンパウロ)』紙にこう話す。「シューマッハをコキ下ろしても意味ないよ」
「彼はかつて、(元チームメートの)ルーベンス(バリチェロ/現ウィリアムズ)やエディー(アーバイン)と比べて1秒は速かった。今はニコ・ロズベルグ(メルセデスGP)から10分の1秒遅いだけだ。何かが大きく変わったわけじゃない」
「ドライバーにとってすべてのパズルがきちんと合わないとき、常に起こり得ることだよ。期間にして1年や2年はね」
すぐに性能が低下するタイヤや、空気抵抗を減らして追い抜きを補助するDRS(空気抵抗低減システム/可変リアウイング)導入で「作られたレース」を見せられていると、厳しい意見のビルヌーブ。今はもう、F1をテレビで見るため早朝に目覚まし時計をセットするようなことはないという。
「父(ジル・ビルヌーブ:伝説的F1ドライバー)は、1981年のハラマで行われたスペインGPで、最初から最後まで4人の追撃を振り切って優勝した。皆の記憶には今も、あれがもっとも波乱に富んだレースとされているよ」と、ビルヌーブは珍しく亡き父親について言及した。
ビルヌーブが語った1981年のスペインGP。ビルヌーブの父ジルは性能では劣るフェラーリで後続の4台を抑えきり、1位から5位までのタイム差が1.24秒という大接戦の状態で優勝した。