パウル・ピーチュが20日(月)、存命の元F1ドライバーとして初めて100歳を迎えた。
1911年6月20日にドイツで生まれたピーチュは、1950年から52年までの3年間、現在のF1世界選手権の黎明(れいめい)期ともいうべき時期にF1ドライバーとして、マセラティやアルファロメオをドライブしている。残念ながら、その間に勝利はおろか、1ポイントも獲得できなかった。
しかし、一方でピーチュは権威ある雑誌として知られる『Auto Motor und Sport(アウト・モートア・ウント・シュポルト)』の創設者としても知られている。また、近年ではつえや補聴器を使うことを拒んでいるというエピソードもある。「それは年寄のためのものだ」というのがその理由らしい。
今年100歳を迎えたピーチュだが、皮肉なことに、かつてのニックネームは”Rennbaby(赤ちゃんレーサー)”というものだった。これは、F1参戦時にピーチュが最年少だったことによるものだ。
ピーチュは資金難によりドライバーとしてのキャリアが行き詰まってしまったとき、サーキットへ戻ってくるために出版社を創立したのだった。
「もう一度レースをしたかったんだよ。とにかく、何かを売ることで資金を集めなくてはならなかったんだ。そのとき思いついたんだよ。自動車レースについての知識を売ることができるぞ、ってね」とピーチュは『FAZ』紙に語っている。